野球狂の叫び

2012年8月8日

野球界のお話でもひとつ

Filed under: 読売巨人軍 — admin @ 10:41 AM

日本伝統の指導方法のひとつに、ダウンスウィングの徹底がある。

少年時代、野球を大人に教わったことのある人ならだれしもが経験あることだと思う。

結論をさきにいえば、これは間違いだと私は考えている。

打席に立ち、ボールを打ったことがある人ならわかるだろうが、実際にボールを打つとき、絶対にバットはダウンスウィングになどならない。

仮に野球経験がない人なら、プロ野球や高校野球の試合を見て欲しい。

ときどき、打者がボールを打ちにいく動作をカメラが横からのアングルで捉える瞬間がある。

どう見たって、バットは上からなんて出ていないことがわかるはずだ。

しかし、繰り返すが、日本ではダウンスウィングが基本なのである。

だから、練習では必死にダウンスウィングを繰り返す。

つまりこれは、実戦のスウィングとまったく違うことを練習し続けている、ということだ。

野球の指導者は、よく、「練習のための練習をするな、試合のための練習をしろ」とよくいう。

あまり意味のわからない言葉だが、仮に素直にこの言葉を鵜呑みにするなら、「じゃあ、なんでそんな打ち方をしてるの?」となる。

どう考えても、実戦で役立つスウィングを身につけようとしているとは思えない。

つまり、指導する人間がまずなにもわかっていないし、考えていないのだ。

どうして、上からバットを出すの?

子どもに聞かれたとき、きちんと答えられる指導者がどれくらいいるだろうか。

純粋な「なぜ?」に答えてやらないから、子どもは混乱するのだ。

そして、その謎はいずれ自分のなかで小さくなり、やがて、謎だということも忘れてしまう。

こうして、思考停止の次世代指導者が生まれる。

そのなかの野球を愛するものはやがて、実際に指導するだろう。

歩むべき道を知らない者を無邪気に歩ませる、そんな恐ろしいチカラが、情熱や愛にはあるのだ。

もちろん、それ自体を否定するつもりもない。

情熱さえあれば良い、愛さえあれば良い、という考え方もあるだろう。

しかし、すべてがそうで良いわけはない。

これまで散々、情熱や愛のみで野球界は動いてきたのだ。

そろそろ、正しい道を知り、否、正しい道を知ろうとする者が増えてこないといけない。

なんだか、技術的な問題から大きく逸れてしまったけれど、まあ、それは次回ということで…。

 

 

 

 

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